ひとりごと

「向田邦子さんというひと 」
 1981年、惜しくも若くして鬼籍に入った向田邦子さん−その痛切な観察力と豊かな感受性はもちろん、母と同じ年というその時代に、学歴もキャリアも人並みはずれ、才色兼備の彼女のファンはいまもって少なくないと思う。そう、私も「寺内貫太郎一家」でテレビに釘付けになった世代である。
 台湾旅行中の飛行機事故であったが、最後の小説とエッセイをまとめた文庫を読んだ。52歳−いまの私と同年齢の向田邦子さんの視点に、感じるところも実に多い。
 『独りを慎む』は、だれの目もない状況のなかで、自分を律することのむずかしさを、自らの素行に照らして評しているエッセイである。一人暮らしを始めた途端、平均以上に厳しかった父親の目がなくなり、どんどん自堕落になっていく自身を戒めているが、耳の痛い話である。
 ここ数日来世間を騒がしている、一流ホテルやレストランなどの食材偽装問題を思わず思い浮かべてしまう。芝エビと謳って安く手に入るエビを使用したり、鮮魚−実は冷凍した魚だったり、・・・なんと次から次へとカミングアウトし、毎日頭を下げる経営陣の記者会見がニュースのトップを飾っている。芝エビ、芝エビ・・・とありがたがって高価な料理に舌づつみを打った消費者を、気づかなかったのかと責めるのも筋違いであろう。「誤認」と苦しい言い訳も見苦しいが、人目がなければ何してもかまわないという浅ましさは、他の国には聞かせたくない恥ずかしさだ。
 「日本が世界に誇れるはずのおもてなしの心」は、このたびの食材偽装事件や、国民の思い、実状からかけ離れた感のある政治姿勢で説得力を失ったように思う。いま向田邦子さんが生きていたら84歳、何とコメントしただろう。天野祐吉さんや山崎豊子さんのようなご意見番がひとり、またひとりといなくなって、鳴らされる警鐘も少しずつ小さくなってきたように思う。日本人としての矜持を保つことはだんだんむずかしくなっているかもしれない。
 向田邦子さんの心根のやさしさは、『ゆでたまご』に手がかりをみる。向田邦子さんが「愛」という文字をみたときに思い起こす光景として、ふたつの場面を挙げている−いずれも小学校時代の同級生Iさんにまつわる話である。2ページちょっとの短い文章の中に、人間の本質をみつけるだけの目をつねに備えていたいと思わせる、珠玉のエピソードがこめられていた。
 向田邦子さんや天野祐吉さんの言葉が耳に順い、妙に胸に沁みるのは、その愛すべき論法ゆえと思うのである。
| - | 08:07 |
「I won’t buy ABEnomics! 」
 わが友人S氏からのスペイン土産−極上生ハムとオリーブオイルは、私の食卓ではイタリア旅行再現となった。オリーブオイルは岩塩を添えてバケットに付け、生ハムはたっぷりメロンの上に乗っけて、ずいぶん贅沢な気分を楽しませてもらった。
 確かに日本では高級食材である生ハムも謹製オリーブオイルも、ミラノで冷やかしたマーケットでは、それでもずいぶん手ごろに手に入る。生ハムやオリーブオイルだけではない。食材をはじめとする生活必需品はすべて廉く、日本の半値以下である。大食漢のイタリア人だから、トータルの食費は結局は変わらないのかもしれないが、消費税が19%という驚く税率とは裏腹に、生活しやすさを実感した。
 日本はといえば、来年4月にはとうとう消費税率が引き上げとなる。単に目に見える影響だけでなく、すでにさまざまなステージで「安倍ノミクス」の影響が現れ始めている。牛乳や卵の値段がいつの間にか上がっている。電気料金しかり。毎朝欠かせないヨーグルト−ふたを開けてのぞくと、どうも表面までの距離が遠い。まさかと思って確認した内容量は、いつのまにか目減りしていた。
 「税と福祉の一体改革」という謳い文句にだまされているのではないかという疑念を抱いたまま、おまけに東京オリンピックの誘致という浮かれ気分が重なって、中途半端なパフォーマンスでごまかされそうな予感だ。実際に税率が上がったとき、日本の経済はどうなるのか−だれもわからないのか、わかっていても本当のことが言えないのか−私の個人的な意見としては、薄氷を踏むような感じである。
 私は、時間があれば家電屋さんに足を運ぶのが好きである。ついついいろいろなものがほしくなって散財してしまうことも多いのだが、単に目新しいものに目移りしているだけでもない。家電屋さんにはある種のトレンド−社会や経済の実勢を知る手がかりが転がっているからおもしろい。かつて日本が栄華を誇った家電業界も、いまや中国、台湾、韓国のメーカーに圧されてしまっていて、日本製品の売り場は次第に追いやられている。携帯端末業界も同じである。そして、家電屋さんの案内板には日本語とともに中国語やハングル文字が並び、店内アナウンスも国際的だ。家電屋さんに足を運ばなければ実感できなかった日本の置かれた状況である、
 高度成長〜バブル経済時代を経験した世代にとっては、何となく背中に冷たい風が吹く。まだまだ暑い夏の名残りを感じながら、冷たい背中の風にはとりあえず目をつぶり、生ハムメロンに舌鼓を打った。
 Sちゃん、ごちそうさまでした。
| - | 13:28 |
「東京オリンピック」
 2020年、二度目のオリンピックが東京で開催されることになった。
 特段興味があったわけではないが、最終プレゼンテーションの夜はテレビはこの話題で持ち切りであったため、観るともなく観てしまった。勝てば官軍とはよく言ったもので、さまざまに工夫を凝らしたプレゼンテーションも、決まるまでは賛否入り混じる評価だったが、招致が決まるや途端に英雄扱いである。
 それぞれのスピーチの出来不出来はともかく、私が何より残念なのは、世界を前に、日本は絶好のチャンスを見事に逃したことである。
 「東京電力福島第二発電所の放射能汚染水漏出問題の行く末」について、安倍首相は「過去も、現在も、将来も、原発問題は完全に管理されている」と断言した。連日のように相次ぐ汚染水報道は、それではいったい何なのかと、今更ながら不審に思ったのは私ひとりではあるまい。
 「確かに、福島原発問題は人類が初めて直面していると言っても過言ではないほどの深刻な問題であり、まだ解決への道半ばで、ぜひとも国際社会にはより一層のサポートをお願いしたい。同時に、被災地はいまだ完全に復興が実現したとは言いがたく、多くの被災者が仮設住宅住まいを強いられていることも事実である。このオリンピック招致を機に、オリンピックを東京都のみでなく日本全体の問題として受け止め、国を挙げて福島原発問題の終息、そして被災地の復興に向け邁進することをお約束したい」と言ってくれていれば・・・。どのように応じるかで、日本のリーダーの資質、政治家としての矜持、人間としての品格が問われるところである。日本が、日本人が、安倍首相が、失墜しつつある国際社会からの信頼を回復できる、絶好のチャンスであったはずだ。
 ミラノはモンテナポレオーネ通り−お店で会計を待っていると、売り子のお姉さんに尋ねられた。「日本はどうなの? 政治的に…」。ドゥオモを目の前に眺めるカフェでは、隣りにすわったオーストラリア人老紳士にどこから来たのか尋ねられ、東京だと答えると放射能問題は大丈夫かと聞かれた。小児科医であるという彼であればこそ、健康被害には特別興味があったのかもしれないが、あちらのテレビでは、日本のニュースと言えば福島原発汚染水問題ばかりが報道されているという現状では、それも致し方あるまい。にもかかわらず、「完全にコントロールされている」と言い切った安倍首相の言は、これら世界のひとびとにどのように受け止められたであろうか。
 日本人のひとりとして、歯痒くもあり、後味の悪さだけが残った。オリンピック招致の成功を、残念ながら素直には喜べない。
| - | 17:26 |
「『いまどきの若者』考」
 いまどきの若者を評して「草食系」−その心は、「欲に乏しい」ということらしい。男は狩猟民族、女性は農耕民族と評された時代はもはや過去の遺物のようである。女性にもてたいがために無理して高級車を手に入れたり、着るものや持ち物にこだわったり、高級ブランド品をプレゼントしたり、・・・そうした不純?な購買意欲が消費経済の活力を支えてきたというのは、かの経済学者、森永卓郎氏の言で、ほぼ同世代の私もなるほどと納得するところが大きい。かたや現代の若者たちは、恋愛が面倒くさいらしく、ましてや結婚となると自信がないと、無理な背伸びはしないどころか、リアルの世界からバーチャルの世界に逃避?してしまうという。
 その一方で、つい最近までキャリアを目指してきたはずの女性たちは、一転「肉食系」と化し、婚活に忙しい。「キャリア・ウーマン」は見果てぬ夢とあきらめ、安定?を求め始めたようである。もはや死語となった「永久就職」という言葉が、実態としては復活した感がある。これで出生率が上がり、人口減少に歯止めがかかるのであれば「めでたし、めでたし」であろうが、その実、思うような成果が上がっていないのは、結婚適齢期の男性陣の「草食化」にますます拍車がかかっているからなのだろうか。
 最近気に入って時折足を運ぶセレクトショップがある。全国に店舗展開しているこのブティックには、どの店舗を覗いても、「ごく普通」の若者がスタッフとして働いている。ブティックのスタッフは、自店舗の商品を身につけることは当然だが、よりおしゃれに格好よく見せることで何とか売ろうとするというのが、私のこれまでの常識であった。実際、「ハウスマヌカン」と呼ばれた時代があり、スタッフの着こなしや組み合わせはおしゃれのお手本だった。だがこのブティック、どのスタッフをとってみても、本当に「普通」なのである。なぜ?−私の想像だが、最近の若い人たちは、自分たちの手に届きそうなものでなければ気後れし、「高嶺の花」には手を出さなくなったからなのかもしれない。頑張らなくても、それほど背伸びをしなくても手の届くものにしか食指を動かさなくなってしまったからなのではないか。つまり、AKB48の人気と同じなのであろう。世相を反映していておもしろい。
 それでもなお、手ごたえのある若者はいる。これはお気に入りのイタリア料理店でのことである。オーナーは私と同世代−愛車は紺のポルシェ、愛想が特段いいわけでもなく、かといって悪いわけでもなく、付かず離れずの距離感が絶妙で、何を食べても絶品のこのレストランは、近くに某国立大学の外国語学部があることから、その学生らしいお客も多く、また、そこの学生らしき若者数名がアルバイトスタッフとして働いている。みなよくトレーニングされていて、気持ちがいい。先々月の終わりのこと、食事が終わったタイミングで、頼んでいないコーヒーとドルチェがテーブルに並んだ。アルバイトの中でも古株の、キャップがトレードマークのお兄さんがカウンター越しにすっと立ち、「もうすぐお誕生日ですね」と笑う。いぶかる私に、「ホームページを見せていただいたら、もうすぐお誕生日だなって思いましたので・・・」。なるほど、以前、清算のときにもらった領収書の宛名からホームページにたどりつき、誕生日が近いことをチェックしたらしい。聞くと、近くの某国立大学外国語学部を卒業したのだが、学生時代のアルバイトが高じて、正式にこのレストランの後継者としてこれから頑張っていくのだという。一アルバイトスタッフから見込まれたのだから、向上心も旺盛なら、すでに経営者としての自覚もなかなかで、すこぶる頼もしい。
 「いまどきの若者」と十把一絡げに論じることができないのはいまに始まったことではないだろうが、確実に日々不安定になっていく現代社会の中で、自身の立ち位置を少しでもみつけやすいよう、先を行くわれわれが「いい世の中」を残してあげなければと、(これは齢のせいもあって)つくづく思う。
| - | 09:58 |
「母への二通の手紙」
 まもなく参院選、どうやら自民党圧勝の兆しである。アベノミクスのアドバルーンもそろそろ風穴が空き、暗雲か・・・と思いきや、代わる対抗馬がいずれもパッとしない。依然安倍政権の支持率は高いまま推移している。本当に消費税は上げていいのか? 本当に円安傾向は日本にとって福音なのか? 対抗馬のなさが国民の選球眼を暗くしていはしまいか?
 なぜか、私は安倍政権に違和感を拭えない。だが、その理由が見えないまま、発足して半年以上が経つ。
 先日、この違和感の本質らしきものに迫り、思わず膝を打つエッセーに出会った。井上ひさし氏の『ふふふふ』に収められている「母への二通の手紙」である。
 最近はあまり取り上げられることのなくなった、熊本は慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」−通称「赤ちゃんポスト」にまつわり、少々辛口の安倍総理批評が展開されている。2007年4月5日に、熊本市当局は「こうのとりのゆりかご」を許可した。それまでがたいへんで、さんざん物議をかもしたことは記憶に新しい。
 井上氏は、ここでドイツの「赤ちゃんポスト」二例を事例に取り上げ、赤ちゃんを預けに来た母親に渡される二通の手紙を紹介している。それぞれの一部を紹介する。
 「あなたが赤ちゃんを預けたのは、決して軽い気持ちからではないことを、私たちは十分に知っています。私たちは力の及ぶかぎり、あなたの赤ちゃんのお世話をさせていただきます。どうか安心してください。もし、もう一度、赤ちゃんを引き取りたいときは、いつでも連絡してください。一緒に暮らせるよう、喜んでお手伝いします。(後略)」
「だれにでも助けが必要なときがあります。いまあなたは助けが必要なのではありませんか。(中略)赤ちゃんの写真がほしいときは電話してください。私たちはあなたと一緒に問題を解決するために24時間ここにいて、いつでもあなたのもとに駆けつけます。あなたの幸せを祈っています。どうか、頑張ってください。」
 一方日本では、「最近の若いひとは・・・」という巷の声も予想どおり、意見を求められた政治家ご歴々も、口をそろえて道学者的な建前論−もっと言うなら「きれいごと」で応じたことを、井上氏は憂いている。いま目の前で泣いている赤ちゃんをどうするか−求められているのはいのちに対する敬意と愛情と、素早い措置であって、決してお説教ではない、と。
 「親として責任をもつべきで、たいへん抵抗を感じる」は安倍首相の言である。井上氏はこう締めている。「目の前の赤ちゃんに何の手も打たず、エラソーにお説教をする国と、ひとことも責めることなく母子の健康を気づかう国と、どちらが『美しい国』なのか。」
 参院選が近づくや、自民党の増税論も憲法改正論も、ぐっとトーンダウンしてしまった。それが何を意味しているのか−何となく抱いた違和感ではあるが、案外的を射ているのかも知れない。
| - | 11:32 |